ケン爺の手習日記 ラストスパート
昨日の出来事
篆刻に全力投球。
6月2日の篆刻教室までに”刻り直し禅語百選”を完成させる。
篆刻
「和敬清寂・印篆・□3.5㎝」
白文の基本である太く、大きく刻り直しました。
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「莫妄想・小篆・□3.5㎝」
界線を追加して刻り直しました。
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「潜行密用如愚如魯・金文・□6.0㎝」
如の二文字を加え8文字で刻り直しました。
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言志四録 佐藤一斎[著] 岬龍一郎[訳編] & 川上正光[全訳注]
Ⅲ 言志晩録 第百九十二条 人を見て自分の幸福を知る
[読み下し文]
人の禍有るを見て、我が禍無きの安らかなるを知り、人の福有るを見て、我が福無きの穏かなるを知る。心の安穏なる処は、即ち身の極楽なる処なり。
[語義]
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[訳文]
他人の禍あるをみて、我が身に禍のないことが、まことに安らかであることがわかる。また他人が幸福であるのをみて、自分は幸福でないために、他人の妬みを受けず、かえって心の安穏を得ることを知る。心の安穏な所が即ち肉体的にも極めて楽しい所である。
[撰文]
安穏即極楽
[ケン爺の感想]
我が福無きの穏かなるを知る。同感です。
消極的だとは思いますが、安穏一途に生きてきた。
しかし、善意の隣人ばかりではない。
降りかかる火の粉は払わねばならない時もある。
つぶやき
オウム真理教の暴走はなぜ起こったか?
麻原 彰晃(あさはら しょうこう)は、神仏に頼る人種の心の弱さに付け込んで信者を好きなように操っていたようだ。
それにしても、麻原彰晃はなぜ信者を操ってあのような事件を次々と起こしたのだろうか。
”人類の救済”を本気で考えていたとはとても思えないし、クーデターが起こせると真面目に考えていたとしたら余りに幼稚だ。
単なる愉快犯だったとしたら深刻に考えることが馬鹿らしい。
他人を救済してやるという宗教は怪しい。






